LocoMoco LIFE

シエナウインドオーケストラ クラリネット奏者 飯島泉のブログ

亡き恩師

アタシの大学生の時の師匠は、故 池松和彦先生って言うんだけど、当時 東京フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者でね、とてもとても厳しい先生だった。
学外で『横浜クラリネット合奏団』ってクラリネットアンサンブルを主宰されていてね、総勢15人程の先生のお弟子さんから成り、かなーり歳上の先輩の方やプロオケの方もいらっしゃって、先生ご自身がソロを吹いたり指揮されたり、楽曲も団のメンバーがアレンジされていたり、新曲も現代作曲家に書き下ろされたりしていたっけ。
アタシは大学2年生の頃に先生に声をかけていただき入団。
これは、夏の合宿で軽井沢だっけな?その写真。

当時大学生の、右も左も分からないひよっこのアタシはよく怒られた。
練習中に一人捕まって、先生に「バカヤロー」と怒られた。

「発音が甘いんだ、タンギングもろくにできないのか!」
「古典をそんな吹き方するな、そんなことも知らないのか!」
「伴奏してる時にソロみたいに吹くな、音量も音色も変えられないのか!」
「人が心配してやってるのにその態度はなんだ!」
「オレは葱が嫌いなのに、葱が入った蕎麦を買ってきたのかー!」ってね。
ランチに買って来いと言われ、学食で買ってきた蕎麦だった訳けど、だったら先に言えよなー、とか心の中で叫んだアタシだった。笑


どんなことがあっても、理不尽なことでも、師匠に対して言い訳はご法度の時代。
悔しくて悲しくてよく泣いたけど、先輩や友人がいつも支えてくれた。
ある時、京都へ演奏旅行へ行った。
お寺さんで演奏してね、あの時も何でだったかな、『葱ネタ』じゃないと思うけど、ゲネプロで怒られたっけな。
まー、よく怒られたけど、先生は後からフォローしてくれて、結局はなんだか箱入り娘みたいにとても可愛がってくれた、笑。
思えばさ、怒ってくれる師匠がいるって、幸せなことだったかも。

京都や北海道や、あちこちへ演奏旅行へ行ったな。
旅先での師匠は「ここのコレが美味しいんだ〜」と、あちこちの地方の美味しいものをよくご存知で、一緒に観光したりお食事したりしてね。
お説教のほかにも楽しいことが沢山あったよ、笑。
今思えば、学生時代に各地へ演奏旅行へ連れて行って貰うなんて、室内楽を徹底的に仕込まれて、とっても貴重で良い経験をさせていただいたな。
本番のステージ上での緊張感の中、師匠の意気込みや気合いや、息使いや音楽に対する姿勢を間近で見て勉強した。
先生、今のアタシは先生のおかげであるようなものです。
先生が生きていらっしゃったら、どうだったかな?
最近、ふと考えることがあります。
今はもう、相談したいことがあってもできないんだものね。
センセイ、ホントウニ、アリガトウゴザイマシタ*・゜゚・*:.。..:*・