LocoMoco LIFE

シエナウインドオーケストラ クラリネット奏者 飯島泉のブログ

ロコ・モコのルーツ

「ロコ・モコ」とは、ごはんの上にハンバーグと目玉焼き、グレービーソースのかかったハワイのドンブリのこと。
我が家の愛犬「ロコ」と「モコ」の名前でもあります(^^)v。

いつか、カイルアビーチで泳いでいたら、子供たちが「loco〜!moco〜!」と日本の鬼ごっこのように、追いかけたり逃げたりして遊んでいるのを見かけました。
「もういいかい、まーだだよ」みたいな鬼ごっこの言葉遊びにも使われているのかもしれませんね。

「ロコ・モコ」のルーツは、完全には明らかになっていないようです。
私がこれまで読んだ本や、聞いたお話しから、まとめてみました。

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第二次世界大戦中、日系二世井上夫妻は、ハワイ島のヒロの町に小さなレストランを開店しました。
リンカーン公園が近かったので、「リンカーングリル」と名づけました。
美味しくて安い料理を出したので、お店は若者たちに人気があったそうです。

その頃、日系二世の若者たちは、「リンカーン・レッカー」と「ワイケアパイレーツ」というチームをつくり、アメリカン・フットボールの闘争をしていました。
試合の後「リンカーン・レッカー」のメンバーは、井上夫妻の「リンカーン・グリル」へ。
「ワイケア・パイレーツ」のメンバーは、日系二世のリチャード宮城の経営する「カフェ100」に集まって、食事をしながらその日の闘争を話し合ったそうです。

ある日「リンカーン・レッカー」のメンバーが「リンカーン・グリル」に入ってきました。
「財布に35セントしかないんだ。なんでもいいから35セントでできるものを食べさせてくれ」と頼みました。
かわいそうに思った井上夫妻は、サイミンボール(ラーメン鉢)に熱いご飯をたっぷり入れ、その上にハンバーグと目玉焼きをのせ、牛肉のグレービーソースをかけて、若者たちに出しました。
お腹が減っていた若者たちは、「これはうまい」と残さず食べ、大変感謝して帰っていったそうです。

その後、その時のメンバーが「あの料理を『ロコ・モコ』と名付けたよ」とお店にやってきました。
「ロコモーティブ」(機関車)活気のある若者を象徴した言葉から、ハワイ語の「ロコ」(土地の人)、「モコ」(入り乱れ、混ざる)、ゴロが良かったのでしょうか。
ロコ・モコが命名されて以来、リンカーン・グリルのメニューに「ロコ・モコ」が入り、若者たちから一番人気のあるメニューになりました。

ヒロのような小さい町では、噂は早く広がるもの。
リンカーン・レッカーの若者が「ロコ・モコ、ロコ・モコ」とリンカーングリルの自慢をするので、ワイケア・パイレーツの若者たちは「カフェ100」に行ってロコ・モコを注文しました。
主人の宮城は、若者たちからその内容を聞き、ロコ・モコを作り、勝手にメニューに加えてしまいました。
それ以来約40年間、ヒロの町で最も多くロコ・モコを売るレストランになってしまいました。

その後、井上夫妻の夫リチャードは亡くなり、妻のナンシーはリンカーングリルを売って引退しました。
ロコ・モコの特許を申請したり、チェーン・ストアを出すようなことはしませんでした。

しかし、「カフェ100」はロコ・モコの特許を申請し、ロコ・モコの「誕生地」と宣伝してしまったのです。
それを知ったヒロ高校卒業生や、元のリンカーン・レッカーメンバーたちは、「ロコ・モコ」は「リンカーン・グリル」の井上夫妻が作ったものだ、と新聞の読者欄に抗議したそうです。

これが「ロコ・モコ」のおはなし。
今では、日本でもよく食べられるようになりましたね。

(写真はオアフ島の「locomoco drive inn」のロコ・モコです)